一房の葡萄

先週、息子の友達が、息子の集めていたカードを盗んでしまうという事件が起こりました。
結果から見るとその子は遊びに来た初日から三日連続で盗っていて、一日目に一枚、二日目に一枚、三日目に大胆にも三枚持って帰ろうとしたところを私が見咎めて、犯行発覚。三枚はその場で返してもらえたけど、残り二枚を巡っては、結構頭を痛めました。
たかがカードなんだけど、息子の大切にしているものだし、子ども達に「盗ったもの勝ち」と思わせたくはなかったので、返してもらうよう交渉することに。私が相手の親の立場なら、万一そんなことあったら絶対知らせて欲しいし。
犯人の子と話す過程で、私はなくなった具体的なカード名を言っていないのに、彼がその二枚の名前を口にして、外で拾った等と主張したから、容疑はほぼ確定していました。
問題は、彼が罪の意識を持っているように見えないこと。
次から次に嘘をしゃべり、大人が聞けば小賢しいだけのまだまだ支離滅裂な嘘なのですが、堂々とこちらの目を見てしゃべるその態度だけみると、真実を言っているのではないかと錯覚してしまいそうなほど、嘘をつきなれてしまっていました。
罪悪感を自覚する以前に、怒られることを恐れ、怒られないためだけにひたすら嘘を重ねる姿は、悲しかった。
学校を通しての連絡や、夫による保護者との直接の対話を経て、もう無理かと諦めた後、意外にもカード二枚は戻ってきて、目的は果たせたのですが、向こうのご家庭のことを考えると暗澹としてきます。
怒られて、怒られて、『悪いこと』したから怒られて、でもそれがなぜ『悪いこと』なのか、今度こそ、わかってくれることを願うしかありません。


息子は、ずっと友達を庇う態度をとってました。
「反省してるようだし、またおうちに入れてあげてもいいんじゃない?」「ぬすもうとしてたんじゃなくて、くつをはきながらカードを見ようとしてただけなんだって」
「なくなった二枚のカードは、彼がとったんじゃないと思うことにしよう」と話した時は、「おれはさいしょからそう思ってたよ」と言ってくれて、嬉しかった。
彼の、人を信じる気持ちが、揺るぎないものでありますように。何より、人の痛みのわかる人に、育ってほしい。