ゲーム無制限主義

「こんにちは〜」と言うなり、最近ではチャイムも鳴らさず勝手に入ってくる三千里の友人達。
息子の進学する小学校には、幼稚園のクラスメイトは一人もいなかった春、友達ちゃんとできるかな〜とドキドキしていたものですが、今では毎日誰かしら遊びに来てくれるようになって楽しそうです。
昨日は三千里入れて小学生六人。プチ談話室状態…無論大学の寮の談話室より数倍騒がしい(笑)
なんでこいつらこんなテンション高いのかと。
ちなみに我が家は、(教育関係者からは白目剥かれそうですが)この秋よりゲーム無制限主義実行中です。
いくつか育児書読んで、ゲームのさせすぎはよくない、子ども時代に大切なのは受身ではない実感覚を伴った生の体験である、という理論にそうだよねと納得して以来ずっと「一日一時間」を堅持してきたのですが。
ゲームが好きで好きでたまらないらしい三千里、その日の一時間が終わったらいつもぶちぶち小言を言い続け、無気力この上ない。
私自身毎日、あと何分、ほらそこ隠れてやらない!と目を光らせるのにも疲れ、むしろ駄目、駄目、と禁止し続けることのほうが子どもに悪影響かもしれないとも思い直し、時間で区切るのではなく
「宿題や明日の準備、ヴァイオリンの練習が終わった後なら8時までなら好きなだけやってもいい。ただしご飯とお風呂はその都度優先」
という条件付で、思い切って無制限にしました。(正確には全然無制限じゃないけど。長時間やりすぎてたら休憩もさせるし。)
この方針に変えたところ…三千里、毎日楽しそうで、性格もかなり素直になったのです。どんだけゲーム好きなんだ(苦笑)
いくらでもできると思うから逆に固執せず、ゲーム以外の遊びにも積極的になった気さえします。
昼も、友達が集まると、やっぱり最初はゲームだけど外でも遊ぶし、皆が帰る5時になると、「約束の時間」なので抵抗せず宿題などにも(いやいやながらですが。苦笑)取り組むようになりました。
ゲーム禁止したからって「生の体験」をするようになるわけではないし、でも子ども時代に色んな体験が必要、という説は正しいとも思うので、休日などにはなるべくあちこちに連れ出して違う遊びもさせようと思います。
何年も続けてる毎晩の読み聞かせも、なるべく欠かさないようにして。
旦那さん曰く、駄目駄目、と禁止する「減らす」教育より「増やす」教育の方がいいと思う、と。
ゲームのさせすぎは感情障害になるとかいう説もありますが、科学的な根拠はない説だし、仮にその説が本当だとしても、なるべく会話とスキンシップを心がけてマイナスを埋められるくらい、他でフォローしてやろうじゃないか、と思います。(旦那さんの家は無制限だったというから、大丈夫だと思うんだけど。)


ゲーム話ということで、全然関係ないけど個人的メモ。
ちょっと前になりますが、コルダ2のアンコールでついにSSS出しました。
   
固定のメンバーでアンサンブル組みまくって対立・和解を繰り返し、完成度の最大値を上げまくる。最終的に
ルスランとリュドミラ序曲→130、パガニーニの主題による狂詩曲→140、ピアノ協奏曲第1番→150(ボーナスに彩華、月森、ロシア作曲家、五人演奏。)
「難しい」じゃなきゃ出ないと思って何度も失敗し、まずは「かんたん」で引継BP貯めてドーピングを増やそうと思ったら、「かんたん」で出ちゃったからちょっと拍子抜け。けど達成感。


…両親がゲーム好きなのに子どもに禁止するのも無理な話だよね…