想像力のスキマ

お気に入りのサイトさんの日記で、スーファミ版「学校であった怖い話」について語られていて、懐かしさにぷるぷるしました。(全話網羅するまでやりこんだのはもう10年くらい前です。)
その中の
スーファミなので、今見たら滑稽なぐらい
>音数も画像数も少ないのが、逆におどろおどろしいです。
という文章にとても共感。


古いゲームって映像等がリアルでない分、おもしろいことに逆にリアルに感じられるのです。「かまいたちの夜」(私のBest3に入る好きなゲーム)はスーファミ版もプレステ版もどっちもやりましたが、プレステ版は画像がクリアすぎて作りものっぽさが際立ってました。想像力の入る隙間があるほうが怖い。
ファミコンの「ポートピア連続殺人事件」なんて映像も音もほんとにしょぼかったけど、殺害現場の居間にロープでつくられた死体の跡はなんだか生々しくて、ドキドキしてプレイしましたもの…てそれは私が小学低学年の子どもだったからってだけでしょうか(笑)


美麗なグラフィックや迫力あるサウンドにも感嘆するけれど、非日常の「得体の知れない怖さ」を表現するには不完全な方がいいのかもしれません。一番怖い部分は自分の中にある恐怖心で補えるように。


夢いっぱいのファンタジーや、少女漫画だって似たようなことが言えるかも。
あまりクリアなヴィジョンを見せられると、その時点でもう完成してしまって融通がきかない。
あくまで言葉や、イラストだけで表現されている方が、それぞれが自分の描く一番美しいもの、理想の相手を投影して浸ることができるのではないか…。
映像の威力というのはよくわかるし、原作ありの実写化も一つの想像の形として楽しめるのですが、二次的なフィクションは下手に再現しようとすればするほどその虚構性が暴かれて、違和感が増す気がします。


ところで「学校であった怖い話」の話題に戻りますが、これ、実写で登場する高校生たちが、皆異様に老けてました。
なんでも制作スタッフさんが演じてたそうで…。(そういえば攻略本に書いてあったかも。)
テニスの王子様 SWEAT&TEARS」(テニプリキャラで「ときメモ」やるゲーム)のOPで流れる実写テニスシーン、顔は映らずラケットを握る手だけ出てるけどえらいしわだらけで
「絶対これスタッフさんがやってるよ!おっさん達が青学ユニフォーム着て頑張ってるよ!!」
と爆笑したことまで思い出しました。無駄にヲタ話で〆る。